「高校時代、そんなに親友と呼べるほど仲良くなかったのに
いろいろ、こうやって相談に乗ってくれて、ありがとな。」
と、言われた。
彼にしたら、最大限の感謝だと思う。
”親友でもない俺のことを、ここまで親身になってくれてありがとう”
・・・なのだろう。
けれど、親友でなくても、相談には乗ります。
親友って、こういう時に使う言葉だったっけ?
いろいろ、親友の定義みたいなものをネットで探してみたけれど・・・
親友の定義
久しぶりに会っても時間を感じない人
無言の時間が長くても気にならない
損得無しに付き合える
良い事も悪い事も言える
何でも言い合える
など、想像した通りの言葉がヒットしました。
うーーーん、僕の場合・・・
先程の条件が親友なら、今、お付き合いをしている友達はすべて親友になる。
本音と建前、社交辞令が嫌いだから、言いたいことを言っちゃう。
それでもお付き合いをしてくれている人は、すべて親友・・・となってしまう。
けれど、相手にしてみたら、本当に僕を親友とみているのだろうか?
親友とは、相互が両思い出なければ成立しないのか、それとも、片方が勝手に
親友と思っていればそれでよいのか判らないけれど、あえて親友と友達を区別
するところに、本音や建て前、社交辞令が出てくるのではないかと思う。
そこに、ストレスも発生する。
僕の本音
親友だから、相談に乗るわけでもないし、友達だから相談に乗らないわけでもない。
困っているようだから、相談に乗れる部分は乗るというのが本当だと思う。
親友ということばを、他の動作の飾り言葉として使っては良くないと思う。
親友という言葉を使い、”親友だから、○○”と相手にいう事は、逆に失礼なのかも
しれません。
本当に親友同士であれば、そんな言葉を使わなくても、心と心で通じ合っているも
ので、言葉では言い現せない、何と言うか・・・信頼のパイプというか・・・
そういった、心が嬉しくてむずがゆくなるような感覚があると思います。
こういう感覚でいれる友達は、数が少ないですが、先ほどの条件に当てはまる友達は
本当に沢山います。
こういう事をあまり深く考えず生きてきた僕が、たかだか1時間程度で親友の定義を
見つけることは出来ないし、たぶん、一生見つけられないから、もう考えませんが、
言葉というのは、相手があって始めて通じる言葉であり、その使い方を気を付けても
相手の取り方次第では大きく意味合いを変えてしまうものです。
言葉無くして、意味合いを通じ合えるという関係性は本当に素晴らしいですね!
・・・オノマトペ。