本を128冊読了した時に解ったこと
本を読んでいると著者の体験だったり意見というものに激しく共感する時があります。
そう感じたとき、世の中には同じような考え方をする人がいるものだと、著者を好きになったり、自分が肯定されたようで嬉しくなったりして、その著者の本を何冊か読みたくもなったりします。
今まで「世の中には同じ意見の人がいる」とか、奇抜なアイデアを思いついたときなどには「きっとこういうアイデアを思い付いた人は五万といるに違いない」といった具合に、使い古された言葉を表面的に使って、自分と同じような人間がいるのだといった表現をしてきました。
本を読むことでそうした言葉を表面的にではなく、心から理解して使えるようになりました。
世の中には同じような意見の持ち主… 激しく同調できる意見や同じ考えを持った人の存在とその存在は本となってとても身近に実在しているという… がいるという「本」というリアルな物質を通して理解したからです。
テレビでも同じような経験ができるという意見もあると思います。
私もテレビでそういう経験をしたこともありますが、テレビの良くないことは、放送の「尺」が決まっているので結論しか報じないということです。
例えば、ある店の店主が「お客様は大事だ」と言っていたとしても、その店主がそのありきたりな答えに行き着いた生活や考えといった背景の部分を報じません。
これでは、心から共感という部分には達することができません。
その点、本には、その意見や結論を伝える前か後に著者なりの「なぜなら」という部分があります。
その部分には著者なりの考えがあります。
読み手は、そうした部分を含めて共感するからこそ、世の中には同じ人間がいるものだという深いところでの理解が生まれるのだと思います。
このことに気が付いたから何なのだ?
確かに何の役にも立ちませんが、本を読んでこなければこういうことに気が付かなかったかもしれません。もしかすると、自分の意見だと思っていたものが、実は昔読んだ本から得た知識であり、それを自分のものとして勘違いすることで、今読んでいる本への共感もあるのかもしれません。
それでも、明らかに、こんなことを考えるのは私しかいないという自論めいたものが、ある本の著者の意見と考えるプロセスや結論も同じだった時は嬉しいものです。
自分でも本を出版できるのではないかとさえ「夢」が膨らみます。
1,000冊読了に向けて本を読み続けたら、この先こんな発見がいくつもあるかもしれません。少しだけ楽しみです。
この発見という経験は、本を読み続けなければ明らかに得られなかったものです。
テレビが良くないとは言いませんが、何か違う発想や視点・観点、自分の中から湧き出る新しい感情や気付きが欲しいと思ったら「本」を乱読することが良いと思います。
これは、私自身、50歳になるまで本をこれといって読まずに生活してきた人間の経験から生まれた知恵です。
文末となりましたが、もし、お薦めの本がございましたら、コメント欄より私にもお教えいただけると幸いです。