身近にある「人の役に立つ」ということ。

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人の役に立つということ

人の役に立つということを考えると、人によっては壮大な偉業をイメージされる方もいらっしゃいます。
けれども、こんなことも人の役に立つこととしてカウントしてもいいの?
というようなことも、たくさん世の中にはあります。

例えば、トイレットペーパー

トイレットペーパーがなくなり交換しなければいけなくなった時、また自分の番だ…
と、思ったことはないでしょうか?

人の役に立とうと思慮を巡らせなくとも、向こうから人の役に立つ行為はやってきます。

面倒くさい、どうしていつも私なの?
そんな風に考えず、ラッキー!これで今日も人の役に立てた!と考えればよいのです。

トイレットペーパーの残りがわずかになったとき、それを先に交換してしまうことは、人の役に立った感は少しアップします。率先して交換することで、たまたま自分の時に交換する羽目になったと思わなくて済みます。

例えば、微笑むということ

微笑むことだって人の役に立つことがあります。

私やあなたのニコッとした微笑みが、通勤途中に誰かの気分を良くさせたとします。
それがキッカケで、その人の商談がまとまるかもしれません。
その商談は日本の行く末を決定するような大きな商談かもしれません。

電車に乗り込むとき、笑顔でどうぞと先に道を譲る…
これだけのことで、相手の気分は良くなるものです。
それが、日本を動かすところまでつながるかもしれないのです。

死ぬときは誰でも後悔は残る

後悔なく生きるというのは、不可能ではないかと私は思います。
その後悔のほとんどは、やり残したことです。

あれもやればよかった、これもやればよかった…。
きっと、生きているうちにたくさんのことをやりつくしても、そういう後悔は必ず残るものだと思います。

けれども、あれもやったな、これもやったな、楽しかったなと死んでいけたらとも思います。
そのためには、大それたイベントではなく、小さなことをたくさんすると良いと思います。

おばあさんの荷物を持って横断歩道を渡ってあげたな…
そうしたら、そのおばあさんが知り合いの親戚だったな… とか。

とにかくいろんなものを拾ったな…
ハンカチ、スマホ、大金の入ったお財布、いろいろ拾って渡してあげたな…
喜ばれたなぁ… とか。

後悔よりも、こういうことを思い出しながら、結構いろいろやってきた人生だったなと、楽しい気分で最後のときを迎えた方が幸せではないかと思います。

そのためには、面倒だと思えるようなことでも、こまごましたことでも、とにかくすべてやることです。そうすることで、そこから思わぬエピソードに結び付くような経験もすると思います。