教育環境
私の幼少期は、お金を稼ぐことは「悪」とまではいかないけれど、「稼ぐ」ことを前面に出し過ぎると、あまり良しとされない時代でした。
そして、人のマネをするということは、オリジナリティがないとか言われ、あまり喜ばれない風潮がありました。
この2つが合わさると、背徳感のようなものが自分の奥底から湧いてきます。
お金を稼ぐのに人のマネをするということは、人間の中身がカラッポなんじゃやないかという気がしてきます。
育った環境が、そうした考えを呼び起こします。
それは、大人になった今でも、そのように感じることがあります。
洗脳から逃れる
- 「稼ぐ」ことを前面に押し出した態度は良くない。
- 人のマネをしてはいけない。
しかし、ようやく、そうした教育による思い込みは、間違っていることに気が付きました。
長い、長い洗脳が解けたような気がします。
だから、これからは、年上、年下にかかわらず、上手だなと思うことはどんどん取り入れてマネをしていこうと思います。
お金を上手に稼ぐ人のマネをすれば、自分でも上手に稼げるようになるはずです。
そこにはもう背徳感など微塵もございません。
どうしてそんな風にフッキレたのか?
マネをするということをお金稼ぎではなく「運動」を例に考えてみました。
例えば、バスケットボール。
バスケットには、フェイントという相手をだまして得点に結びつける方法があります。
そして、その技術に優れていると、多くの得点をあげることができます。
入部した当初は、基礎練習ばかりです。
上達するためには、上手な先輩の技術を自分のものにしなくてはいけません。
「盗む」「マネる」「教えてもらう」をして、自分のものにしていくわけです。
教えてもらっても練習しないと上手になれません。
教えてもらったことをモノにすると、自分でもうまくフェイントができるようになります。
相手チームを出し抜いて得点することができるようになります。
「マネ」をするということで、新入部員は上達していきます。そうやってチームが強くなっていきます。「マネ」はちっとも悪いことではないですよね?
お金を稼ぐこともそれと同じだと気が付いたのです。
誰のマネをするのか
自分がお金を稼ぎたいと思ったら、目標となる人のマネをする。
これが一番近道です。
ただし、自分にとってどんな稼ぎ方が好きなのか?
そうした人物像を明確にする必要があります。
好きな芸能人や自分の生き方にあった人を目標として、その人のマネをする。
そうすれば、きっと自分も稼ぎ方がうまくなります。
商品を売るという直接的な稼ぎ方もあれば、自分というコンテンツを影響力あるものに育て上げ、広告の収入を得るという方法もあります。
自分の目標とする人がどんな方法を用いているのかをしっかり観察する必要があります。
オリジナリティとは
オリジナリティがない?
バスケットもそうですが、まずいろいろマネをしてすべて吸収した後に、それらのテクニックの組み合わせがあります。
多くの組み合わせが存在しますが、自分がオリジナルの組み合わせだと思ったものでも、すでに先人がやっていることかもしれません。そう考えると、オリジナルなんていうものは、すべてやりつくされてしまっていてないのかもしれません。
それなのに「オリジナル」ばかりを考えて、こだわり、求めています。
そこに考えが固執してしまい練習をしなければ、一向に上手にはなりません。
そもそも試合には出れません。
オリジナルなんか、もうこの世では生み出すことができないくらい、先人がやりつくしてしまったと思った方がいいかもしれません。そうしたら、オリジナルにこだわる必要がなくなります。
そうなれば、やることは一つ。
あらゆる組み合わせを、誰よりもうまくできるようになる!ということだけです。
もし、そうなれば、オリジナルが無くても誰よりも上手になることができます。
オリジナルであることや自分だけのオリジナルを持つことは、立ち止まって考え続けるほど重要ではありません。
稼ぐことも同じ オリジナリティはいらない
目標とする人を見つけず目指さず、自分らしい稼ぎ方とは何かを考えている間に、1円も稼げずに人生が終わってしまいます。これで良いのでしょうか?
そうではなく、目標とする稼ぎ方をしている人のマネをする。
オリジナルの稼ぎ方なんて、やりつくされていてしまっているということを理解する。
だって、ずいぶん昔から商品やサービスは変わっても、売る人、買う人、作る人という図式は変わっていないのですから…。
マネが良くないなんて考えていると、ろくなことにはなりません。
バスケットも稼ぐことも、上手な人のやり方をマネる。「マネる=学ぶ」ことが大切です。
マネることは良くないという洗脳から、早く解けてください。
すべては「学び」なのです。