困っている人を助けるにも優先順位があった
最近、仕事の方向性がブレなくなってきた。
それは、常に「この仕事は困っている人を助けるのか?」を自問自答するからです。
目先の金を追いかけたり、おごっている時は特に自問自答し、仕事の方向性を修正します。
しかし、情けない事に、困っている人を助けるという事に対して、自分の中には優先順位が
ある事を知ってしまったのです。
困っている人を助けるのにイライラ・・・
困っている人を助けるためといっても気が乗らなかったり、イライラしてしまうのは何故だ
ろうと考えました。
相手は困っているけれど、それが無くても基本的にはそれが解決しなくても大丈夫だろうと
いう内容に対しては、自分で解決してください!と言いたくなってします。
そういうお願いにはイラッときてしまうようです。
逆に、ものすごく困っていて、それが無いと基本的にやばいでしょ?という内容でも、僕が
助けてあげる事に使う時間やエネルギーが膨大過ぎるのも、そこまでは助けられません!と
なってしまいます。
優先順位を表にしてみると・・・
単純に、困っている人を助けるという言葉の中にも、こんなにも醜い優先順位があったのだ
と情けなくなりました。
では、今、自分が「困っている人を助ける」という価値観で仕事をした時、優先順位が高い
人助けは何なのかを分析してみました。
① ~ ④ と数字がありますが、若い番号ほど率先して助けたいと思う仕事です。
それぞれの数字の中にも、それなりに優先順位はあると思います。
例えば、①の左下隅の仕事レベルは、例えるなら
「そこの七味取って~」
なんていうレベルの、雑用にも満たないお願いごとの仕事だと思います。
費用なんかいただくレベルではありません。
僕の人助けは、まだまだキャパが小さく、考え方も幼稚のようです。
そっか、分かったぞ!
人の困りごとを解決するために多くの時間とエネルギーを使うのが嫌なんだったら、それを
分散すればいいんだ!
まぁ、なんていうか、そもそも”人の困りごとを解決するために多くの時間とエネルギーを使
うのが嫌”だからイラッとするわけです。(その姿勢は評価に値しませんが。)
でも、全く時間を割かないかといえば、人の困りごとを解決するために少しの時間であれば
割けるわけで、少しでもそういう時間を持てているという自分を褒めてあげたいわけで・・
・・・・まぁ、いいか。
話しは元に戻して・・・
自分がイラッ!とするのは、自分のキャパを超えるような時間とエネルギーが必要な困りご
とを解決してくれと頼まれた時だという事は、薄々、気が付いた。
ならば、僕の負担が軽くなるように超えたキャパ分を他人と分散すればいい。
みんなで助ければいいのだと気が付きました。
他人と分散でもいいし、システムを組んで分散するのもいい。
要は、ひとりにかかる負担が少なければ、イラッとしないわけです。
みんながイラッとしない範囲で時間とエネルギーを出し合えば、大きな時間とエネルギーが
生まれます。それらを集めて解決が必要な人にあてがえば、みんなHAPPY!
それができれば、多くの困りごとをみんなで解決できるのになぁ。
今は、ここまでしか分からないけれど、良いヒントをもらったような気がします。
・・・・オノマトペ。