最近の病院は先生もカルテをパソコンで入力します。
昔は、紙に英語やドイツ語で書いていて、患者が覗き見ても何が書かれているかさっぱりわかりませんでした。
パソコンの普及により、カルテやレントゲン写真といったものは他の先生と共有ができます。レントゲン写真の現像時間も何倍も速い。とてもいいことです。
けれども、患者を見て話す先生が少なくなりました。
患者の言葉に耳を傾けながら、患者やに解りやすい言葉で説明をする先生が減りました。
パソコンに表示された項目にチェックを入れながら、患者に質問をして、顔はモニターばかりを見ています。とても機械的で、やっぱり「医療」=「ビジネス」なんだなぁと感じてしまいます。
いかに早く目の前の患者を効率よくさばいて、自分の得点を稼ぐのか?
私はそんなふうに感じてしまいました。
昔、病院に行ったとき、待ち時間が相当長く、結果的に先生に診てもらったのはお昼休憩の直前でした。看護婦さんが私の診察時間を遅らせようと先生に気を使ったのですが、その先生は「わざわざ会社の時間に都合をつけてきてくれているのに、そんなことできますか?」と看護婦をたしなめていました。
私の目の前で。
シチュエーションはともかく、そうした患者への気配りがとても嬉しかったです。
そういう先生は、あとにも先にもこの先生しかいません。
私の病院に対する不信感は積もる一方です。
よく、そういうのはプロに任せろ!なんて言われますが、プロだって組織の一員です。
良い指針のある組織内の先生ならともかく、そうでなければ患者はカモにされます。
私の不安を先生に打ち明けて、説明を乞うても「ちょっと考え過ぎの傾向があります。精神k名をご紹介しましょうか?」と言われた日にはショックと落胆でその日はダウンしてしまいました。
それ以来、病院はビジネス。経営の継続こそが目的だということを深く理解しています。
父は診断によるミス、祖母は介護施設での入浴の際、運ぶレッカー台から落とされ骨折させられました。人の命にかかわっているんだという意識の薄さが、そういうミスや事故を呼ぶのです。
そうしたことから病状の悪化、死という工程を余儀なくされたのでは、何のための医療か?
常々そのように思っています。
ミスをするなというのではありません。
ミスをするような心持ちで仕事に向っていませんか?と問うています。
「先生、もしあなたが患者なら、自分のような先生をどう思いますか?」