他人の目を気にするとストレスがたまる
なぜ、人の目が気になるのか?を考えてみました。
嫌われたくないとか、気に入られたいとか、人の目を気にしすぎるとストレスが溜まります。
もっと、自分に正直に、嫌なことは嫌!自分らしく生きる!と、いつも思っていますが、どうしても、人の目を気にしてしまいます。
そうやってストレスが溜まっていきます。
でも、最近、他人の目を気にする理由が、もう一つの側面があることに気が付きました。
他人の目を気にする「もう一つの心理」
嫌なことは嫌!
自分らしく生きる!
と、思っても人の目を気にしてしまう心理の裏には、他人の期待を裏切りたくないという気持ちがあるのではないかと思います。
だから、自分の心とは裏腹に、他人が望むような行動をしてしまうのではないのでしょうか。
もっと言うと、他人の期待を裏切りたくないということは、他人に気に入られたいという欲望がそこにあるのだと思います。
さらに言うと、他人に気に入られるということは人気が出てくることですから、人気者になりたいという欲望があるのだと思います。
人気者は人の目にさらされ、それらの他人の目や期待を裏切らない!
それが人気者であり、格好がいい。
結局、つまるところ、自分の心の奥に人気者になり、格好良くなりたい!という願望が心のどこかにあるから、他人の目を気にしてしまうのではないかと思いました。
僕の心の奥には ”他人に格好よく思われたい!という気持ちが根っこにある。” と、自分自身を分析しました。
それに気が付いたことで気持ちが楽になりました。
心の多くの気持ちに気が付けたことで変わったこと
このように分析できたことで、気持ちを分けて考える事が出来るようになりました。
つまり、格好よくなりたくても、自分が嫌だと思うものはやらない!やらない事で、格好よく思われなくてもいい!!と、とても割り切れるようになりました。
今までは、嫌なのにやらなくちゃ・・・、でも、なんでやるの?本当は嫌なのに。と、同道巡りでしたが、今は、自分の心の奥の気持ちに気が付けたお陰で、スパッと気持ちが割り切れます。
そう割り切ることで、嫌なものは嫌と思えるようにになり、それをあえてやるのかやらないのかは自分のその時の気持ち次第で行動することができるようになりました。
だから、他人の目や期待のためにやらされているというストレスはありません。
むしろ、自分でやるかやらないかを決めれている所に大きな変化があり、主導権をとった感じで、自信というか、気持ちが強くなったような気がします。
良い副産物が生まれました
格好よく生きるためには?という部分がテーマとして出てきました。
他人の期待に応えることだけが、格好良いわけではありません。社会の当たり前のルールを守ることも格好良いです。
男としての行動にも、どうすることが格好良いのか、どうすることがダメなのかも意識するようになりました。
格好良くなりたいということは、モテたいということではありません。
表現は難しいのですが、男として人間として自分の格好良いと思える基準に対して、しっかり行動しているかというチェック機能が生まれたような感じです。
このことは、自分が格好良いと思える生き方を、自分自身で決めれていることが、素晴らしいと思います。そして、自分で決めるということは、ストレスを軽減してくれています。
人に振り回されていないという感覚は大事です。